お気に召すままに

 

父のことは全く記憶にない。

覚えているのは、古びた畳の部屋、ちゃぶ台、蒸し暑い風と父の体温。父のあぐらに座り、一緒にテレビを見ていたー。高校卒業を目前に控えた、とある日にみた夢である。鮮明な父の表情や体温までも細密に表現した私の脳内は、それを父とすることにした。その日以来私と父の思い出はその風景となった。

母には夢の内容は伝えなかったが、畳のある古いアパートに当時住んでいたということだけを聞いた。当然母は不思議がっていたが、私にはその答えで十分であった。

 

父はなぜ亡くなったのか。

父のことは全く恨んでもいない。生き返って欲しいと願ったことも、あの頃に戻りたいと涙したこともない。なぜなら27年の歳月を経た現在、喜怒哀楽を十分に感じ、幸せといえる人生を送っているからである。

 

小説にしろ映画にしろ、考察を読み解かなくては気が済まない質だった。美術展、作品展。どうして解説もなく楽しめるのかが分からなかった。いうならば、数式の答えは一つだ。

そんな私に疑問は残り続ける。理由などあるわけもない。ただ単に、言い訳がほしいのだ。幸せな人生を歩む主人公が、自分のことをひどく嫌悪する、その言い訳が。