お気に召すままに

 

 私は俗にいう、AC(アダルトチルドレン)である。簡単に言ってしまえば、自身をACと定することでこの「生き辛さ」を肯定したいのだ。

 自分がACだと感じるようになったのはつい今年の話である。つまり私は27年間、この「生き辛さ」は自身のパーソナリティであり、思考の歪みだとは考えていなかった。

 

 契機となったのは離職である。看護師として働いていた私は5年働いた末離職した。他人より感情の浪費が凄まじく、自分を表に出すことをひどく恐れた。自分を押し殺し、感情を操り、時には物静かに、時にはムードメーカーのように振る舞ってみせた。帰る頃には空っぽだった。あまりにも生き辛い。

 

 しかし、ふと振り返ってみれば、社会人になる以前よりそれをずっと繰り返していた。喃語が話せるようになって間もなく父が亡くなり、父親はいないが、母親と2人で暮らしていると認識できるくらいの年頃にはすでに「求められている自分」になることを習得し、いかにそれを極めるかで一生懸命であったのだ。

 結果私は、皮肉なことにACの称号を手に入れてしまうのである。